鎌倉宮

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護良親王を祀る明治天皇創建の社

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明治2(1869)年に明治天皇の勅命で創建された神社で、祭神は護良親王(大塔宮)です。

護良親王は、後醍醐天皇の皇子として延慶元(1308)年に生まれ、20歳で、後醍醐天皇の政治力により天台座主(延暦寺住職で日本天台宗諸寺を総監する役職)となります。
後醍醐天皇による鎌倉幕府討幕の動きに呼応して還俗(僧となった者が俗人に戻ること)したうえで参戦し、討幕後の建武の新政では征夷大将軍に任じられました。
護良親王は、足利尊氏・直義の兄弟を警戒し、討幕直後は入京せず、信貴山に籠りました。征夷大将軍に任ぜられたのは、既に従三位に叙せられ鎮守府将軍に任ぜられていた尊氏とのバランスを取るための後醍醐天皇の妥協の産物でした。
ところが、護良親王は、後醍醐天皇の与り知らぬところで加領の令旨を武士達に出したり、尊氏の暗殺計画を進めたりして、結局父の後醍醐天皇にも愛想をつかされ身柄を拘束されたうえ、尊氏の弟である鎌倉将軍府の足利直義(ただよし)の監視下に置かれました。

建武2(1335)年、鎌倉幕府第十四代執権北条高時の遺児時行が挙兵し中先代の乱が起こり、直義は一旦鎌倉を明渡すことになります。この際に臣下淵辺義博に命じ護良親王を殺害しました。

南北朝時代を舞台にした軍記物語「太平記」によると、護良親王は、東光寺の、土で壁を固めた牢に幽閉されていました。鎌倉宮は東光寺跡に建立されており、鎌倉宮の本殿裏には復元された土牢があります。

鎌倉宮には、護良親王が出陣の際、獅子頭を兜の中に入れていた事にちなんだ獅子頭のお守りがあり、人気です。

神苑

神苑

毎年10月には、薪能が開催されており、秋の夜の風物詩となっています。

護良親王の墓は、鎌倉宮の東約300mの丘の上にあります。宮内庁管轄で石柵に囲まれており、その中に入ることはできません。大町地区にある妙法寺にも護良親王の墓がありますが、妙法寺を中興したとされる日叡は、護良親王の子です。母の南の方の墓とともに、妙法寺の裏山に建っています。

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