源頼朝

住所
電話番号
営業・拝観時間
料金

源頼朝は、源頼義以来の先祖ゆかりの鎌倉の地で武家政権を確立しました。12世紀末のことです。その後、鎌倉幕府が倒れた後の室町時代に入っても、武家の中心地であり続けました。

鎌倉の今を伝えるメールマガジンの登録はこちらからどうぞ。

登録

トピックを詳しく紹介

源頼朝は、1160(平治元)年、父義朝とともに平治の乱に敗れ、伊豆の蛭が小島に流されました。
1180(治承元)年、後白河天皇の皇子である以仁王により発せられた平氏追討の令旨を受け取ると、北条時政らと伴に挙兵し、鎌倉に本拠を構え南関東を制圧しました。
木曽義仲、奥州藤原氏などの政敵を次々に倒し、御家人と呼ばれる武士の集団を統率し、強大な権力を手にします。1185年、異母弟の源義経の活躍もあり、平家を滅亡へと追いやり、1192年には、朝廷より征夷大将軍に任ぜられました。
1198年、53年の生涯に幕を閉じます。死因は、落馬だとされています。

現在の鶴岡八幡宮は、源頼朝が由比ヶ浜からこの場所に移設しました。鶴岡八幡宮の東側の山裾にある源頼朝の墓は、江戸時代に島津藩が整備したものです。島津氏の祖である島津忠久は、頼朝に近い御家人でしたが、島津氏内部では、この忠久は源頼朝の落胤だと信じられていたため、墓を整備したといいます。
この源頼朝の墓の前の石段下には、源頼朝の持仏堂であった法華堂跡があり、現在は白旗神社が鎮座しています。頼朝の亡骸は、この場所に葬られました。
鎌倉駅の北西にある源氏山には、源頼朝の銅像があります。これは、源頼朝の鎌倉入り800年を記念して建立されたものです。

鎌倉の今を伝えるメールマガジンの登録はこちらからどうぞ。

登録